| 2025/11/02(日) 2025水呑学区ふれあい文化祭史跡巡り <3/4> |


■2025年11月30日01:01
2025水呑学区ふれあい文化祭≠ヘ、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(05)
史跡めぐり≠ノ参加されます方々が、ぱらぱらと交流館入口付近に集まって来られまして、09:55過ぎでしたか…「史跡めぐり≠ノ参加されます方は、集まって下さい…」と、ヤッと招集が掛かりまして、まずは交流館前で集合写真を撮られますようであります。
お集まりの皆様を、サッと数えてみましたら、お世話されます水呑歴史民俗資料保存会≠フ皆様も含めまして、総勢24名でありました。
ふ〜ん、例年より数名ばかり少ない参加者でありました(^.-)☆
本日のお世話をされます歴史民俗資料保存会《anからご挨拶の後、いよいよ史跡めぐり≠ェ定時にスタートとなりました。
まず、向かいますのが法界石∞井上利八邸跡≠ナあります。
史跡めぐりの受付時、頂きました資料によりますと、
◆井上利八邸跡
井上利八翁 慶応2年(1866)生〜昭和10年(1935)没
広島県会議員から衆議院議員になり大正13年(1924)から昭和6年(1931)頃まで、活躍した人。
昭和11年(1936)に当時の5千円と邸宅を水呑村に寄附、現在は福山市教育委員会所有、この地に立正保育所を昭和23年(1948)に開所、平成13年白萩と合併し移転。隣保館は昭和16年(1941)に建設、公民館として使用。
平成14年(2002)より福山市から水呑自治会連合会が借り上げ管理している。
◆法界石
安政3年(1856)に安政の大旱魃(かんばつ)の降雨祈願の記念碑として建立。平成20年(2008)中村町内より現在地に町内連合会により移動する。
…と、こんな井上利八邸跡∞法界石≠ナあります。
現地の案内板には、こんな記載がありました。
◆井上利八邸跡
--- 歩いてふれよう水呑の歴史と風土 ふるさと水呑 案内 ---
ここは井上利八さんの邸宅跡です。井上利八さんは、1866年(慶応2年)に水呑村西郷に生まれ、1935年(昭和10年)享年70歳にて永眠されました。25歳より鉄道庁に勤務、当時盛んに国有化が進められた全国の鉄道の建設に尽力、その後、実業界に転身して南満州鉄道会社の工事に関与、そして1911年(明治44年)政界に進出して広島県議会議長、続いて衆議院議員を歴任、さらに鞆鉄道鰍フ創立にかかわり、地元村民が働き手となった工事の推進役となり専務取締役としても活躍、生涯をとおして国と地方の鉄道の発展に貢献されました。
同氏は永眠に際して邸宅と金子を水呑村に寄附されましたので、それを元手としてその邸宅跡に、隣保館(1941-1961年まで、現在の公民館ならびに小・中学校の体育館の役割)、旧立正保育所(1941-2001年まで)を建設して活用しました。その後、井上記念館と命名して町民の文化活動の場として使用し、水辺庭園に建つ胸像とともに同氏の遺徳を偲ぶことができます。
参考文献「水呑町史」「水呑のあゆみ」『第50回帝国議会衆議院議録』他
水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民族資料保存会
-- 平成30年3月設置 --
井上利八邸跡・法界石≠フ次は、武宮神社≠ノ向かいます(^-^)//"

■2025年12月01日14:01
2025水呑学区ふれあい文化祭≠ヘ、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(06)
鳥居に続きます石段を上がりますと、武宮神社≠ノと到着です。ここには、三王社≠珞Jられています。
境内の鳥居・石灯籠の近くには、こんな警告案内板が!
◆警告!
鳥居・灯籠が倒壊する恐れがあります。絶対に近寄らないで下さい。-- 武宮神社 --
永年の風雨にさらされ経年劣化、老朽化が進み危険な状態とはイケませんネ。怖いですネ。
とは言いましても、たった今、皆さんで石段を上がり鳥居を潜りましたけど、この警告案内を眼にしまして初めてドキッ(^-^;
何の為の警告案内なのか、思わず苦笑が(^-^;
史跡めぐり≠ナ貰った資料には、こんな記載がありました(^.-)☆
◆武宮神社
創立不明、1500年ごろは水呑の氏神さんとして祀られていたと云われている。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)大国生命(おおくにぬしのみこと)別命(上の森)これに対し(下の森)は鍛冶屋にある。
◆三王社
本社は滋賀県大津市坂本にある、比叡山の守護神である、日吉大社の別称である。祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)。三王とは山の神の意味。
武宮神社≠ニお別れしますと、水呑八幡神社≠ノ向かいます。
◆水呑八幡神社
永禄13年(1570)に、瀬戸の福井八幡神社で論争の末、水呑の人が御神体を持ち帰り、洗谷の一本木と云う所に御神体を祀ったのが水呑八幡神社の最初である。慶安4年(1651)現在地に鎮座する。祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。

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